2013年07月27日

飛行機遅延の扱いに怒る

この時期、中国のどこかで大雨雨や雷雨雷が降ると、全国のフライト飛行機がよく乱れます。
天気のせいなのは仕方ない、でも客の扱いかたがやっぱりなってないどんっ(衝撃)

まず、空港や航空会社のHPがフライト情報更新をしないので、
皆とりあえず空港に行き、チェックインせざるを得ない。  で、やっぱり遅れる。
遅延の理由や、先の見通し、最新情報を全く教えくれないで
「XX便は遅れております、もう少々お待ち下さい」というアナウンスをずっと流し続ける。
その間、電光掲示板も“遅延”としか出さない。

2時間も遅れて皆待ってるのに、もう知ってる情報のアナウンスを延々繰り返されると
逆に腹が立つパンチもんです。
地方空港には、高くて不味いカフェと、外の食堂の2倍以上取る悪徳レストランしかなく、
しかも2時間以上居座らないこと、という貼り紙してあり、時間をつぶせない。

一応出発時間から2時間以上遅れると食事を出すことになっているらしいけど、
それもインスタント麺と水1本・・・しょぼいバッド(下向き矢印)
それも自分で取りに行き、自分で給湯機まで行ってお湯を注いで作るもの。

でも空港で待ちぼうけはまだ良い方。最悪なのは、
飛行機に乗ってしまってから出発できない、もしくは行き先変更され、
田舎の軍事空港に着陸、飛行機からは出られず、
ガソリン節約のためにエアコンも切られ機内の温度が30度に上がってしまうグッド(上向き矢印)、なんて時。
何回か経験しましたが、夏に4時間半近くエアコンのない満席の機内にいてごらんなさい、気が狂います爆弾

私の長春発北京行きのフライトも午後7時発の予定が、雷雨のせいで遅延、
10時過ぎに「フライトキャンセル」のアナウンスが。
このフライトの1時間半前に同じく北京行きの中国国際空港と南方空港のフライトがあって、
いずれもキャンセルされていたので、私のフライトのキャンセルも決まってるようなもの。
でも、北京空港は閉鎖されてるのに、すべてのフライトを同時にキャンセルせず、
それぞれ4時間経ったところでアナウンスするのが決まりらしい。
もしかして飛ぶかも、と無駄に期待させられました。

そして、ここで航空会社による事後処理の差が。
フライトキャンセルと聞いて搭乗口に集まってきた乗客、本当に飛ばないの?と聞くと、
航空会社の人が説明するには、まだ本部で決断を下していない、
もしかしたら飛ぶかもしれないけど、あと1時間後にしかわからない、と。
アナウンスはキャンセルと言って、フライト情報を映すモニターにもキャンセル
と入っているのにまだキャンセルじゃない?客がキャンセルするなと言ったら、
キャンセルしないのかい?しかも、それを集まってきた人にしか伝えない?
これってサービスになってないんですけどっちっ(怒った顔)

でも中国人客はじゃあ仕方ない、待つか・・・と自分のベンチに戻っていくので
私も待つことに。そして1時間後、航空会社のお兄さんがまたやってきて、客がまた集まる。

果たして、状況は変わらず、まだ本部の決断が下りていない、あと1時間待て、とのこと。
この頃には、他の航空会社はフライトキャンセルされた客のために
市内にホテルを用意していて、ホテル行きのバスに乗る乗客を誘導する
アナウンスまで流れていたので、うちらの客もキャンセルするならして、
早くホテルで休みたいという人がちらほら。

しかしここで
「今夜のホテルとバスは用意しますけど、明日のホテルから空港までの交通手段と、明日のフライトに乗れるかどうかの確認は各自で手配してください。
今回のフライトキャンセルは航空会社の責任ではなく、天気のせいですから、
これ以上はできません。」とのこと!!
なんてひどい扱いexclamation×2 こう聞くと、
だったら何としてもキャンセルしないで今夜飛べ、という客が多くなった。。。。
もう11時過ぎてて、平らな所でないと寝られない私はうたた寝もできず、もう限界に眠い。

航空会社の担当者は1人だけ。と言っても、自分からは何も言わず
聞かれた質問に答えるのみ。都合が悪くなると携帯電話が掛かってきたふりして
(あれはフリだった)答えない。
対するこちらは乗客30人くらいで、それぞれ自分が聞きたいことを担当者に聞くので、
航空会社が乗客全体にどう対応するつもりなのか全く見えてこない。
どう見ても航空会社の人の方が偉そう。
なってないでしょexclamation&question あ〜イライラするどんっ(衝撃)

結局、午前1時過ぎまで待ったら急きょひらめき飛ぶことになり、ゲートが開いたのですが、
北京着は午前2時半頃。こんな時間に空港についても、空港タクシーは
100%やくざ眼鏡な運転手でぼったくられる・・・と気が遠くなりました、
それでもまだ帰りたいの?? まだ連休は1日あるのよ、ゆっくり帰った方が良くない?! 
中国人がわからない。

という訳で、睡眠不足+航空会社の対応へのイライラで最悪な精神状態のまま、
北京着。もう海南航空、二度と乗らない!と思いながら
(飛行機に乗ったら、機内食が出た。飛ばないつもりだったのに、
機内食はキープしてたんかい、こっちは不味いインスタント麺でお腹いっぱいで、
今さら機内食なんか食べられないよ、と更にムカッパンチ
しかし、周りの中国人は午前1時過ぎというのに、普通にペロッと平らげてた・・・)

唯一の救いは、空港から乗ったタクシーの運ちゃんがとっても温厚いい気分(温泉)な良い人だったこと。
深夜料金以上ぼられることもなく、気を付けてね〜手(パー)、と送り出してくれた。泣けるもうやだ〜(悲しい顔)

5月頃、雲南省の昆明空港で3日間、霧のため待ちぼうけを喰った上、
インスタント麺を食べるお湯いい気分(温泉)も無くなり、乗客がターミナル内で暴れ、
施設を壊す暴動
が起こったことがあります。

怒ってる、怒ってる ↓
2013010610135880.jpg

日本でこういうニュース聞くと、なんて野蛮なグッド(上向き矢印)、と思うでしょうが、
今回のフライト遅延を経験して、納得。
あんな保身しか考えてない航空会社に、客を客とも思わない扱いをされて、
3日間も放っておかれたら、怒るのも当然。

中国人は国内でああいうひどい目に遭うので、海外でも同じものだと思っていて、
「フライト遅延」と聞いた瞬間から暴れる手(グー)らしいですね。
成田空港のタクシーの運転手さんが言ってました。これには日本人、
どう対応していいかわからなくて大変困るらしいですが、私だったら中国人には
「日本では乗客を放っておいたりしないし、最新情報をちゃんと逐一伝えるから」
と言って、まず彼らを安心させますね〜

世界中でマナーがないと言われる中国人旅行客、自国で虐げられていて、
他人を信じられない経験から、マナー守るより自分の身を守る、が
身についているんでしょうか。悲しいわ〜がく〜(落胆した顔)

これに引き換え、バンコク市内でタクシン首相支援派が過激デモをしていた時の
バンコク国際空港が思い出されます。市内に出られない旅行客のために、
毛布を配る傍らで、フットマッサージ足屋がたくさん出前営業してました。
タイって、ちょっとした会議の時も必ず出前フットマッサージ屋が出るんですよね〜。
イライラしてる時に、マッサージしてもらえたら、癒されるよね、
さすが微笑みの国、タイ かわいい

posted by Nico at 20:41| 北京 🌁| Comment(0) | 北京以外の中国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月18日

中国東北地方への旅(6)

共産党吉林省本部(旧関東軍司令部)は、
屋根がまったく日本の城の天守閣のようで、
とても特徴的なのですが、門前で正面から写真を撮ろうとしたら、
ガードの1人に「写真はだめ」と叫ばれました。
exclamation&question別に門の外から写真撮るくらいいいじゃん、減るもんじゃないのにねえ、
自分たちが建てたもんでもないくせに・・・

仕方なく人民大街に面してるサイドから写真撮ったら、
木に隠れて全然よく分かんないですねあせあせ(飛び散る汗)
DSCN3945.JPG

ここから人民大街を渡った東側に省政府(これも満州時代の建物)の
古いビル(新しい省政府の高層ビルは後方に建っている)、
この更に東側、バス停でいうと「清明街」の一角に、
当時の日本人が住んでいたらしき古い建物がいくつか残されていました。
でも「省政府管理建物、古いので危険建築」というステッカーが張られており、
すでに住民はかなり前に退去したようで、
ガラスもすべて割れていて、荒れるに任されていました。

これらも数年のうちにきっと立て壊されて、新しいビルが建つのかな、
と思って何枚か写真を撮りました。
DSCN3940.JPG

DSCN3941.JPG

これだけ見てきて思うのは、当時の日本政府はかなり長春にお金使ったなーということ。
皇宮博物館だけ見ると、そんなに感じないのですが、
それでも真横に御料列車と皇帝専用駅が整備され、専用の防空壕も掘ってある。
街の至る所に、東京にあるより規模が何倍も大きい
国会議事堂みたいな(より立派かも)建物銀行がバンバン建ってるんですもの。

よほど、満州の将来に希望を抱いていた、ということなんでしょうね。
ハードをこれだけしっかりしたということは、ソフト面(人材)も
選りすぐって送ってたはずです。

皇宮で見た、今は「軍国主義日本への協力者」という
汚名のレッテルを張られている中国人の役人や軍人も、
実はすごく有能な人たちだったに違いなく。
何人かの専門知識(日本の海軍士官学校に留学した海軍士官など)
を持っていた満州国軍の中国人は、その後の中華民国政府にも徴用されたようです。

日本も、明治政府という新しい国を自力で建てたものの、
当時の尊王派が列強から武器を購入したことも勝因のひとつなのは否めないわけで。
封建制度から立憲君主制度へのプロセスを、アジアで先んじてやってのけた日本、
その横に作った満州国でも同じことが出来るはず、と思った日本人、中国人、欧米人
もいた、と想像するに難くない。

当時のそんな人々にとって、満州国は自分なりに正義だったはず。
それが「正しい側に着く」という正義だったかどうかは、歴史が後付けしたわけです。

溥儀のイギリス人家庭教師だったジョンストンも日本の明治維新に注目していた一人。
のちに、溥儀が日本の庇護に入る根回しをしたそうです。

彼の書いた「紫禁城の黄昏」を読んでいますが、
中華民国設立後の数年間は本当に混乱していたんだと分かります。
共和国になりながら、清国皇帝が紫禁城に居ることを許されている不可解な時期。

「人民の意思により、専制君主国家から共和国になった、と
民国政府は言っているが、実際、共和国がどんなものか知っているもの
など人口の数パーセントしかいないのだ。むしろ大清国皇帝に
シンパシーを感じている人のほうが、まだ圧倒的に多かった」
と彼は書いています。

彼が溥儀の家庭教師だった、という事実を差し引いても、
「こんなに人口の多い国(かつ大多数が文盲)で、共和国制への移行が、
″人民大多数の意志″によってなされたとは信じがたい」
という指摘は正しいと思います。

溥儀は建国のご先祖様への負い目も感じており、満州族による国の復興を誓っていた。
それを助けてくれると言ってくれた日本になびいたのも無理はない、のかなと。
結局、関東軍のことは最後まで信じられなかったようですが。


posted by Nico at 00:28| 北京 | Comment(0) | 北京以外の中国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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